【おちょやん】感想ネタバレ 第89話 終戦

『おちょやん』あらすじ(ネタバレ)第89話

千代が一人で涙を流したあくる日、
昭和20年8月15日、日本は終戦を迎えた。

シズは戦争が終わったらと取っておいたお茶を入れようと言う。

みつえは床に臥せったまま。
一福は縁側で呆然としている。

絶対に勝つって言ってたのに嘘つきだ。
父・福助は無駄死にだったじゃないかと言う一福。

福助に寄り添う千代は
「それは違う」
福助はお国のために命を賭けたのではない。
みつえと一福を守るために命を賭けた。
戦争が終わった今、一福とみつえがこうして無事にしているのを福助は何よりも願っていたに違いないと話す。
「せやさかいな、無駄死になんかやあれへんのだす」

千代は家重の前に出て、しゃがみ込みうなだれて…そしてセリフを呟き始める。
芝居のセリフはイプセン「人形の家」。

「私はただ、しようと思うことは是非しなくちゃならないと思ってるばかりです」
「私には神聖な義務が他にあります」
「私自身に対する義務ですよ」
「何よりも第一に私は人間です。ちょうどあなたと同じ人間です。少なくともこれからそうなろうとしているところです」

「社会と私と、どちらが正しいのか決めなくてはなりませんから」

空を見上げる千代。
青い空には、B29ではなくとんびが一羽。

 

そこに一平が来た。
「懐かしいな」
「うちの原点だす」
と千代は答えた。

そして一平も独白。
「社会と私と、どちらが正しいのか決めなくてはなりませんから」
「すっきりした」
一平は笑顔。
負けたのに怒られるかもしれないが祝電を打ちに行くと出かけて行った。

そして5日後。
稽古場に家庭劇のメンバーが集まっていた。
一平が祝電を打ったのは一座の面々。

ルリ子は、父親の面倒を見るために田舎に帰ったが必ず戻ると言う。
そして小山田は疎開先で畑仕事に目覚めて引退。
戦死した百久利と満州にいる寛治以外は無事だった。

道頓堀の劇場は皆焼けてしまった。
鶴亀家庭劇は全国を回って芝居することを決めた。

そして道頓堀を離れる前に芝居をすることに。
千代は布団の中でふさぎ込んだままのみつえに是非芝居を観に来てほしいとお願いした。

 

あっさりと終戦

あらあら、あの泣き崩れた次の日にもう終戦ですか。
あっさりと終戦。
玉音放送も無かったなあ。
玉音放送無し、珍しい。
どっちでもいいけど。

 

しかし、戦争の重苦しさが無いまま終わってしまったなあ。

最後まで着物がキレイなまま、メイクがキレイなままだったので悲壮な感じが実感できなかったわ。

終戦になったら、シズさんが「お茶を」って笑顔で言った、その笑顔もキラキラだったし。
千代が一福にキッパリと福助は「無駄死にじゃない!」って言い切れる、その切り替えの早さも。

これは演出の問題でしょうけど…。
言葉にはしないけど、それぞれに重く引きずる「何か」っていうものがあると思うけど…それが皆無。
シズさんも千代も、本心はヨレヨレだけど口だけは、どうにかこうにか笑顔で強気な事言ってる感が無くて。
戦争終わったって聞いて即スッキリに見える。
おかげで薄っぺらくステレオタイプに見える。

そんな感じだから、
みつえちゃんと一福君はだけが福助の死を引きずっているように見えて…残酷。
すっかり置き去りにされてしまって可哀想過ぎるわ…と思えてしまう。
こういう状況に陥れるなら、みつえちゃん側の人ばっかり殺して千代の周りは無傷っての不公平だわと思ってしまう。

何があっても常に前を向く、気丈な千代を表現したいんでしょうけど、これでは弱っている人の気持ちをいたわらない直情的なポジティブシンキングに見える。
それやりたいなら、不謹慎だけど、千代にとって痛手となる誰かを戦死させて、それでも笑ってるという姿を見せないとと思ってしまいます。
こんな言い方不謹慎過ぎると思いますが。

半沢的に白黒ハッキリ付けてバキバキ前進、テンポよく物事を進ませたいんだろうけど、戦争、人の生き死にが大きく絡むターンでは、そうは簡単には片付けられないよ…と思ってしまいます。

それから、終戦を受けて「嘘つき」とショックを受けている一福に説教するのが千代って言うのも…。
千代が言ってもいいけど、きちんとみつえと一福に親子の真の会話をさせてあげてー。

 

 

 

 

 

千代の「人形の家」独白

千代は、イプセン「人形の家」のクライマックスを独白します。

千代が初めて見たお芝居で高城百合子が言っていたセリフ。
人形の家のセリフをここまえしっかり聞いたのは初めてでしたが、なるほどね。
あのセリフの言葉は胸に刺さります。

あの時代には相当革新的なセリフだったのですね。
そして戦争を乗り越えてこそ、その言葉の重みを知る。

SNSでも皆さん反響の様子。

ただ…私としては、これも違和感。
千代にとっての始めて知った芝居のセリフだから宝物なのは分かるけど、千代はこのセリフの本当の意味をこの時点で理解したり、思い知ったりできるほどの知識と教養は無いはず。

高城百合子と小暮真治が亡命するときも、百合子と小暮だから匿ってたけど、その意図は理解していなかったよね。
そして高城百合子が一緒に亡命しようと誘ったときには、自分は客が喜んでくれればいいのだと言ってた。

その後戦争の間に、百合子たちが求めていたものは何だったのか気付いたのかもしれないけど、それをきちんとドラマ内で描かれていなかった。千代はただお芝居やりたいって言ってただけで。
イプセンの家のノラの叫びを咀嚼している様子は微塵も…。
それこそ戦時下、千代レベルの庶民はそんなこと考える余裕も無かったと思う。

だから、この「人形の家」の千代の独白は取ってつけたように見えてしまいました。
これは千代の魂から出た言葉ではなく、脚本家の意図によるものだということが見え見えだなと。

 

さらに、千代の怒鳴りのセリフの読み方も…演出がちょっと…。
単純過ぎない?
もっとここは、噛みしめる様に、未来への希望、自由を噛みしめる様に、怒鳴りじゃなくて声を高らかにして言う方がよかったんじゃない?
終戦=絶望、マイナスからのスタートではあるが、これからは「自由」なんだと、
読みながら、セリフを感じて味わって、言いながら自由を実感して…
改めて自由であることの喜びを噛みしめる…。
そんな感じで、怒鳴りではなく、絶望の淵から一筋の光を見たように、次第に力強く声を高らかに言ってほしかったな…。

なので私にとっては千代の言い方は、相変わらず自己主張の強い、「芝居やりたい」アピールにしか見えず残念だったわ。

だから、このシーンに感動したとしたら「人形の家」に感動したのであって、千代に感動したのではないと思う。

今の世にも人の心に響く「人形の家」は偉大だなあ。

 

そんな思いがあったので、私としては千代の独白より、一平の「人形の家」の方が素敵だと思った。
一平の独白にはじーんと感動しました。
「恐らくこの戦争で日本は負ける」
と言っていた、脚本家である一平はこの「人形の家」のセリフの意味を思い知ってたんだなとも一発で分かった。

 

鶴亀家庭劇は再集結

家庭劇の皆にまた会えました。
それはよかったけど、皆キレイだな…www
皆さんの白いシャツが眩し過ぎるwww

そして、皆無傷なのね。
千代の周りは全く困ること無し。

百久利さんは戦死してしまったけど、超簡単に処理されてしまったし…。

まあここからは戦争のことはすっかり忘れて、明るく行きましょー!宣言だとは思いますが。

鶴亀家庭劇は、暫くは全国を回ることに。
その前に、焼けてしまったえびす座で芝居をすることを千代はお願い。

千之助さんの
「芝居はどこでやるかやあらへんわい。誰がやるかや」
っていうのは、カッコ良くて痺れました。

 

 

そのことをみつえに告げる千代ちゃんも、もうちょっとみつえに対して気遣いある優しい言い方で言ったら?
…考えてみたら、みつえと千代が直接対峙するシーンも無かったもんねえ。

千代は幼なじみの親友として全然みつえの話を聞いてあげてないじゃん。
なのに放り捨てる様に全国巡りするから堪忍て…一平も千代もみつえと一福をどうしてあげようか考えなかったんだな…と思ってしまった。