NHK朝ドラ『半分、青い』に出てる!くらもちふさこ『いつもポケットにショパン』

NHK朝ドラ『半分、青い』には、主人公が憧れ弟子入りすることになるマンガ家、秋風羽織の作品としてくらもちふさこさんの作品が使われています。

くらもちふさこさんの代表的作品、『いつもポケットにショパン』もかなりな頻度で登場。そのたびNanakorobiyaokiは懐かしく嬉しくて朝から気分が上がります! ありがとう朝ドラ!

そこでこのたび久々に『いつもポケットにショパン』を再読。20年以上ぶりの再会です!

読んでみると、これがなかなか…! 思い出の作品として読むだけではない感動があります。今読んでも全然古くない。オチが分かっているにもかかわらずドラマの世界にじわじわ引き込まれ…。さらに大人になったNanakorobiyaokiの視点で読むと新たな味わいも。もはや文学の域だよ、コレ! 『いつもポケットにショパン』、くらもちふさこを語るには欠かせない一作です。

『いつもポケットにショパン』 のストーリー

大まかなストーリーとしては、ピアニストを目指す高校生 麻子が小学校卒業以来離れ離れになっていた幼なじみのきしんちゃんと再会し、きしんちゃんとの関係を再構築する過程での周囲の人々との交流、母との関係を見つめ直すことにより、麻子が自分と向き合いはじめ人、表現者=ピアニストとして目覚めていく姿が描かれています。

ストーリーは主人公麻子の幼少期から。

著名なピアニストである麻子の母は多忙で留守がちな上、麻子には厳しくドライ。そのため麻子は母に対して距離を感じています。

淋しい思いを抱える麻子にとって、心の癒しは同じ音楽教室に通う幼なじみで仲良しのきしんちゃんと、きしんちゃんの母である“おばちゃま”。

おばちゃまと麻子の母とは音大時代の友人同士。努力型のピアニストである麻子の母に対し、おばちゃまは天才と言われていた。しかしおばちゃまは家庭を優先しピアニストは引退したのだとか。そんな話を麻子ときしんちゃんはおばちゃまから常に聞いて育ちます。

おばちゃまはきしんちゃんだけでなく、麻子にも包み込むように優しく接してくれます。麻子にとっておばちゃまは、まさに母性のスイートなイメージでした。

ところが、きしんちゃんは中学入学にあたりドイツに留学。二人は離れ離れになってしまいます。

ドイツに渡ったきしんちゃんからの便りを心待ちにす麻子。そこにドイツで大規模な列車事故があったというニュースが入ります。きしんちゃんとおばちゃまはその電車に乗っていて被害に。おばちゃまは死亡し、きしんちゃんは重体で失明のおそれがあると新聞で知る麻子。

事故後一切連絡が取れないまま、麻子は何年もきしんちゃんの身を案じ続けます。

麻子の高校入学後に、きしんちゃんの帰国が分かり二人は再会。ところが、きしんちゃんはまるで別人のように麻子に対して敵意丸出しで冷酷に接します。

なぜ、きしんちゃんの態度が豹変したのか。それは自分の母と、麻子の母との真の関係性を知ってしまったから。

実は麻子の母こそが天才ピアニスト。きしんちゃんの母は麻子の母の才能に嫉妬し、無理な練習を重ねたあげく鞘炎となりピアニストを断念せざるをえなかったのです。その上、好きな人も麻子の母に取られて…。おばちゃまの心は嫉妬に燃え、だからこそ麻子に近づいていた…。

きしんちゃんは母の思いを引き継ぐように麻子に対する憎しみに燃え、麻子のまだ開花していない才能に恐れを抱き距離を置いていたのです。

きしんちゃんの頑な心をどうしたら解きほぐすことができるのか? どうしたら昔のきしんちゃんに戻ってくれるのか。

これまで自分のピアノを過小評価するばかりの麻子でしたが、きしんちゃんとの関わる、仲間との関わり、母とのぶつかり合いを通して、麻子は徐々に人の気持ちを思いやることをを知り、自分の気持ちに素直に向き合い始めます。そして自分の思いをピアノで表現することをに覚え、表現者として、ピアニストとして徐々に成長していく姿が描かれています。

昭和の少女マンガ史における『いつもポケットにショパン』の位置付け Nanakorobiyaokiの理解

幼少期より『ベルばら』『アラベスク』、『エースをねらえ』で少女マンガを見てきたnanakorobiyaokiにとって、くらもちふさこ作品は良い意味で“普通”を描いているのが新鮮であり偉大! と感じていました。

スポ根ものの変遷

バレエ、野球、テニスなど、主人公が技能を磨いて成長していく様を描くジャンルは、いわゆる“スポ根もの”と言われますが、『いつもポケットにショパン』はピアニストを目指す話しですが、“技能を磨く”、“成長を描く”という意味で“スポ根”ジャンルに入ると思います。

スポ根ものの最も初期の作品は60年代。『巨人の星』、『アタックNo.1』、『サインはV』などがあります。そして70年代に『エースをねらえ!』、『アラベスク』が続く。そして、その約10年後に『いつもポケットにショパン』が登場するという流れです。

60年代スポ根もの

『巨人の星』や『アタックNo1』などの時代の内容は“大リーグボール”とか“稲妻攻撃”みたいな、現実ではあり得ない技を繰り出して敵に圧倒的強さで勝利するという、ドストレートな展開が常識でした。魔法みたいな必殺技があるから絶対勝つ。主人公が技術を磨き成長していく様子にはフォーカスが当たっていませんでした。

70年代スポ根もの

その後、70年代に入り『エースをねらえ!』、や『アラベスク』が登場。この2作は、ごく普通の女の子が主人公です。普通の子が先生、コーチに才能を見出され様々な困難を乗り越えて才能を開花させていくストーリー展開。

当時、魔法のような必殺技がないこと自体がとにかく革命的だったし、テニスプレーヤー、バレリーナとして、悩みながら成長していく姿が描かれていることが新鮮で読者は主人公の思いに共感することができました。

ただし、『エースをねらえ』、『アラベスク』は結局は天才。天才と讃えられ絶対的実力があるライバルたちが次々表れますが、彼女たちは“見える天才”。それに対して主人公は“見えない天才”。

見えない天才だから、一見凡人のようだけど…“見えない天才”とは、“努力”と“積み重ね”で何もかもを吸収し無限に成長する存在。一見負け負けなのに、誰をもを凌駕する存在なのです。

「私、全然そんなつもりなかったんだけど~友だちのオーディションにつきあったら私の方が受かっちゃって、今はトップアイドルです~」みたいな。後出しジャンケンみたいな存在。

必殺技よりリアルで面白いけど、天才に変わりはないという点で等身大とはちょっと違います。

 

80年代 ここで登場! 『いつもポケットにショパン』

そんな流れの中で『いつもポケットにショパン』が彗星のごとく登場します。

この作品では麻子は有名ピアニストの娘ではあるけれど、それ以外はごく普通の女の子。

ママが有名ピアニストってところが一見“必殺技“のようですが、それによって麻子は苦しむし、それにピアニストの成長を描くストーリーなので、麻子にはそれなりの才能はあるだろうという設定がないと高レベルの芸術性を追究するストーリーは描けません。そういいった意味での必然性としてママが有名ピアニストの設定はごく自然で必然性があります。

そして、麻子が様々な登場人物と絡む中でピアニストとして成長していく姿を、ごく日常的な出来事や、さりげない言葉の数々を重ねていくことで描いています。本当に、近所にピアニストのお家があったらそんな感じなんだろうなあ~という感じで。

もはやスポ根ものを越え、きちんと人間ドラマ。スポ根もの、この作品により目覚ましく進化を遂げました。

絵に描けない“音”=ピアノがテーマ

この作品はマンガでは物理的には描けるはずがない音がテーマです。

直接音を再現できはしないのですが、その代わりに手の質感、指先の動き、表情、光と影でピアノ曲の展開が表現されています。ここ、くらもちふさこのマンガ家としての天才ぶりが遺憾なく発揮されているところでしょう!

クライマックスの、きしんちゃんの演奏シーンなんて…もう圧巻もの!

そして読んでいると、そのピアノ曲を聴いてみたくなる。メロディーの中に登場人物の心情を探り味わいたくなってしまいます。

ドラマの構成、人物描写が非常に緻密で文学的

くらもちふさこ作品は、基本的に感情の起伏が激しい展開は最小限にとどめられています。さりげない言葉で物語が紡ぎ出されていきますが、その行間に見え隠れする心理描写が実に見事。想像力をかきたてられます。

そして、数々のシーンやエピソードはこれまでになく日常的。

しかし、読者はこのごくごく“普通”なやりとりにより登場人物に今までにないリアリティが。そしてそんな“普通”を丁寧に重なることによって、いつのまにかストーリーは大きなうねりとなってクライマックスに向かっていくのです。気が付いたら夢中になって一気に読破してしまう!

Nanakorobiyaoki、今回の再読みは母となってから始めてでした。そのせいか、麻子の母ときちんちゃんの母との関係に思いを入れて読んでしまいました。

特にきしんちゃんの母の気持ちに思いを馳せてしまいましたが…。きっとおばちゃまは麻子に対しては憎しみだけじゃなかったのだろうなあと思いました。

麻子を見るたびに麻子の父への切ない恋心を思い出しただろうし、でもきしんちゃんの母となった今では過去の懐かしい思いだったろうし。複雑ではあるけど煮えたぎった状態ではなかっただろうなあ、とか。

麻子の母への気持ちは、嫉妬だけではなく、憧れや、友だちとして好きだっただろうし…。

麻子や麻子の母に対しては、憎さ余って可愛さ100倍というか…。その思いのせつなさ、複雑さに涙。

そして死ぬ前にきしんちゃんに言った「麻子ちゃんに負けないで」のセリフも、実は憎しみだけではなかったのではないか、きしんちゃんは憎しみと受け取ったけど、おばちゃまは「麻子ちゃんを負かせて」という意味ではなく単にきしんちゃんにエールを送ったのかも…と。奥深く、悩ましいセリフですねえ。くらもち作品、奥が深いです!