憧れの街NYブロードウェイにワクワク 『NYバード』槇村さとる 

『NYバード』のストーリー

『ダンシング・ジェネレーション』の続編です。

N.Y.D.C.(ニューヨーク・ダンシング・カンパニー)の団員であるアイコが、パリ・オペラ座留学からニューヨークに戻ってからのストーリー。

これまでN.Y.D.Cのトップダンサーとして順調に成長してきたアイコ。しかし師である神崎の“愛弟子”と言われることに次第に息苦しさを感じ、ある日公演をすっぽかしてしまいます。それによりN.Y.D.C.は除籍処分に。

自分自身の力で踊る場を必死にさがしているところ、恋人の慎に誘われたのはブロードウェイミュージカルの大御所ジェフ・ブランディ=通称“J.B”のダンスチーム。

世界のショービジネスの最高峰、成功するのが最も難しいとされるブロードウェイの舞台にアイコは挑むことになる…。

ニューヨークの希少価値 今と昔

『NYバード』が連載されていた当時の昭和57年から58年は、インターネットもなかったし、飛行機だってLCCなんてなかった。NY便なんてエコノミーでも往復20万円~30万円くらいしました。まだまだ海外旅行は身近ではありませんでした。

それに当時のニューヨークの治安は非常に悪かった。道一本間違えただけで命取りと言われていたし。

高額だし、怖いし、ニューヨークに行くというのは、すごーく憧れるけど、なかなかハードルが高いものでした。

そして当時のエンターテインメント事情としては、ニューヨークと日本のレベルは雲泥の差。今や日本も、スポーツや芸術面で評価されることが多くなってきていますし、海外に“日本らしさ”が受けてはいますが、当時の日本の文化芸能なんて全然知られていませんでした。“スキヤキ”はかつてビルボードチャートNo.1にはなったけれど、飽くまで一発屋的だったんだと思う。日本全体のエンターテインメントなんて気にもかけられず、世界の片隅でちまちまやっているに過ぎない状態でした。もちろんダンスなんて西洋発祥の芸術なんか本家様には鼻にもかけられない感じだったと思います。

第一、当時の日本人は今よりも体型からして西洋人に負け負け。足は全然短いし、チビだし。上手くなるよう鍛えるとチビマッチョなデブになってしまう。ダンスなんてムリ! なイメージでした。神崎先生も、慎もマンガでしかあり得ないイケメンでした。

でも、それぞれのスポーツに合わせた鍛え方とか研究が進んでいるせいでしょうか? 日本人が進化したのかしら?? 今はちゃんとマンガレベルの体型のダンサー、日本人にいますよね。フィギュアの羽生君しかり。

さらに、私たちの生活も。今よりも和風の家で畳生活の人が圧倒的だったし、今よりももっともっと日本の生活様式、日本の食生活で暮らしていました。

そんな中で、『NYバード』は、ニューヨークが舞台ってこと自体でもう夢の異空間! さらにダンス! バレエから進化してダンス! キラキラ輝く宝石箱の中を覗いているようなワクワク感がありました。さらに、身近に感じるけど全然知らないダンスの華やかで厳しい世界。そこでて頑張るアイコに憧れ一杯で読んでいたものです。

ダンサーとしての成長 前作『ダンシング・ジェネレーション』よりさらに深く描かれる

『ダンシングジェネレーション』では、アイコと慎がニューヨークにで頭角を現すところまでが描かれていました。『NYバード』ではさらにアイコと慎がそれぞれ独立したダンサーとして成長する姿が描かれています。

アイコは、頑張り屋だけどすぐに動揺する等身大の少女の感性で悩み苦しみますが、それでもダンスが好きでくらいついていく。そんな姿に、自分も一緒に一つ一つのハードルを越えて行く気分になっていました。当時中高生だったナナコロビヤオキはダンスへの憧れだけでなく、アイコみたいに夢中になれる何かをみつけたいなあ~とも思いながら読んでいましたね。

そして、慎の成長も。神埼を師と仰ぎつつ、追いつき追い越せない自分にずっと焦りを感じ、神崎に嫉妬までも覚えていましたが、でも、そんなことではなく自分自身を表現することに気付きます。

故障を抱えながらも、舞台の上で新たな境地を切り開く慎。そのダンスシーンの見事なことと言ったら…! 静止画である絵にも関わらず、その緊張感、躍動感、高揚感が伝わってきてガツーンと胸に突き刺さります。

そして何かを見出した慎の、幸福そうな表情が本当に美しくて…!涙涙

それに花を添えるように、神埼先生の殺し文句が
「あの日、代々木でとんでもない拾いものをした…」
くぅぅーっ! しびれる! 涙

さらに、さらに! ヴィーが神崎に対して言うのです!
「笑ってるわよ、顔が…」
(T_T)

そして、そしてさらに! 自分が思わぬ表情をしていることに気付く神崎の一言
「笑ってる…か」
(槇村さとる『NYバード』より)

うううっ!(/_;) もう! この下り、サイコー!!! (T_T)(T_T)(T_T)
すごく大人で粋で…鳥肌モノ!

ナナコロビヤオキ、ノックダウンです!

神埼先生とのLOVE!?

『ダンシングジェネレーション』より一段と大人テイストになり、『NYバード』では、神埼先生がアイコの師としてだけでなく、恋愛対象としてクローズアップされていきます。

『アラベスク』、『エースをねらえ』に続き、またまた先生は主人公を好きだったパターンです。昭和の少女マンガ、このパターン好きね!?

ただ、ナナコロビヤオキの感想としては、以前の『アラベスク』のノンナや『エースをねらえ』の岡ひろみは、人間性としては相当ひ弱なひよっこ状態。メソメソ泣いてばっかりいるし、コーチに頼りっぱなしだし。コーチや先生の庇護なくしては生存できないイメージです。「こんなお子ちゃまが、なんで超大人のイケメンに好かれる!?」と、小学生なりにも理解不能でした。

しかし、アイコはこれまでのヒロインとは違い、先生の保護下ではなく、自分自身で困難を克服していきます。これまでのアイコの道のりを見てきたからこそ、今ダンサーとして成長したアイコに神崎先生がリスペクトと愛情を抱くようになってきたというのも、まあ岡ひろみより考えられないこともないかなあ~と。個人的には、あんまり好みじゃないですが、まあ理解できなくもないレベルになってきました。

でも、神崎先生ってば、いつも高いハードルを提示しては突き放して、アイコを動揺させてばっかりだったのにさぁ! 厳しい師匠ぶりが『エースをねらえ!』の宗像コーチと同じだったし。それなのに「オーディションで出会ったときからアイコは特別な存在だった」みたいに言っちゃうし。その辺がやはり70年代テイストを引きずっている気がする…。

昭和の少女マンガの憧れの恋愛パターンって、マゾッ気要素必須だったのかな? いじわるされてた人に、ずーっと好かれてたのがいいみたいな…???

人生のエッセンスにもなる言葉が

今回久々に読んでみて心に響いたセリフがありました。

それはJBがアイコに言う、
「進む方向がわからなくなったら、気持ちも踊りもバラバラになってしまったら、バーへもどって1番からだ」(槇村さとる『NYバード』より)
というセリフ。

慎をとるか、神崎をとるか動揺しまくるアイコに贈ったJBのアドバイスです。

いろいろなことにがんじがらめになって立ちいかなくなったら、最もシンプルなところに戻って、「自分にとって一番大切なものは何?」 と自分と向き合うことが大切。

大人になると、周囲に気を使ったり、体裁を気にしたり、気が付いたら自分のやりたいことが一つもできてない! なんてこともままあります。

自分の本来の気持ちに正直になるって簡単なようだけど、とても難しいこと。

なにかにつけて立ち止まり、バーに戻るって大切だなあと。特に大人になった今、このセリフが心に響きました。

少女マンガとはいえ、いい言葉が入ってます。お気に入りの一言にしようっと。