思春期の多感な心に刺ささった! 萩尾望都『トーマの心臓』

この作品は、中高時代のナナコロビヤオキの心のバイブルでした。

 

ナナコロビヤオキの当時の思いを代弁してくれていると言っても過言でない。思春期の頃にしか感じられず、そしてその時期を過ぎると本人でさえすっかり忘れてしまうような、未完成で多感な心模様が作品の中に息づいています。そしてそれらが万華鏡のようにくるくるとめまぐるしく変わっては美しい模様を描く。そしてその思いを描く絵が本当に、本当に美しくて…ナナコロビヤオキの10代は『トーマの心臓』に心酔しきっていました。

 

当時のナナコロビヤオキ、この作品にすっかり心を奪われ何度も、何度も、何度も、何度も…本がボロボロになるまで繰り返し、繰り返し読んでいました!

そしてその壊れた本も今も大事な宝物。そして新たに愛蔵版も買ってしまった! そのくらい一番大好きな作品です。

『トーマの心臓』あらすじ

舞台はドイツの全寮制の男子校(ギムナジウム=中等教育機関)、“シュロッターベッツ”。日本で言えば中高一貫校みたいなものです。

ある雪の日、シュロッターベッツの生徒、トーマ・ヴェルナーが陸橋から転落死した。学内きってのアイドル、トーマが事故死したことに生徒たちは騒然とする。

トーマの一学年上で委員長の優等生ユリスモール・バイハン(ユーリ)のところに一通の手紙が届く。差出人はトーマから。ユリスモールに当てたトーマの遺書だった。

トーマは事故死でなく自殺だった。

トーマはユーリが好きだった。ユーリはトーマの気持ちを知っていたが、素直になれずトーマを拒絶。そのトーマが自分宛に遺書を残して自殺したのだ。ユーリはひどく動揺する。

トーマの死のショックも次第におさまりつつある学内。そこにエーリク・フリューリンクという転校生がやってきた。エーリクは、死んだトーマにうり二つだった。再び騒然とする学内。

普段冷静な委員長のユーリは、エーリクにトーマを重ねて怒りをあらわに接する。天真爛漫でストレートに感情表現するエーリクは、わけもなく感情的にぶつかるユーリに強く反発する。

なぜ、ユーリはそこまでトーマを意識し、エーリクに攻撃的に接するのか?

学園生活に慣れ始めた頃、エーリクの元に母親の死の知らせが届く。悲しみに暮れるエーリクを委員長であるユーリは慰めるが、それをきっかけにエーリクとユーリの心の距離は近づく。

エーリクはユーリを次第に想うようになる。エーリクが素直に愛情を表現する姿に、かつてのトーマを思い出し再び心を閉ざすユーリ。

ユーリが心を閉ざすのは、深い心の傷があるためだった。

 

『トーマの心臓』は思春期のバイブル

10代の思いを美しく見事に再現

この作品、ナナコロビヤオキは中1のときに初めて読みました。姉のマンガコレクションから、姉に勧められて読んだ作品です。

ナナコロビヤオキはキリスト教の、寄宿もある中高一貫校の女子校に通っていました。男と女の違いはありますが、このギムナジウムと自分自身の学校生活がすごーーーく重なるものがあって、完全に思い入れて読んでました。

そして女子校って、恋愛対象が男の子の代わりに先輩♪なんですよね。

ナナコロビヤオキも当時、上級生のお姉さまに夢中でした。トーマ、エーリクはユーリが好き、アンテはオスカーが好きっていう設定も、まんま重なって完全ツボはまりでした。

これって、一見ボーイズラブに見えますが、実はそうではないです。

10代って恋に恋するお年頃、成長の一過程として同性に恋心を抱くことがあるといいます。それはゲイとか、そういうものではなくて、“憧れ”という言葉で表わされるもので…。

そう、そういった繊細な思いが誠実に描かれている、唯一と言っていいほどの作品なのです。

当時のナナコロビヤオキは作品冒頭に出てくるトーマが書いた詩、
「この少年の時としての愛が、性も無く正体も分からない透明なものへ向かって投げだされる…」(萩尾望都『トーマの心臓』より)
というところにいきなり心をわしづかみにされ、この作品世界にのめり込みました。

そういう感じで10代の、恋に恋する思いって、見返り関係なしで、ただただ人を純粋に人を好きになる気持ちに憧れたり、そんな思いを温めたりというか…ね。だから両思いとかで成就しちゃうのは、それはそれでつまらないとも思ってたりしたなあ~(笑)。

そんな10代の頃の“透明”な思いを見事に表現して下さっていて、当時完全に心に刺さりました。

女子校、男子校の経験がないと分からないかもしれませんが~。そう、少なくとも決してドロドロしたホモ話じゃないところがたまらなく素敵で大好きでした。

そういった意味で、当時うぶだったナナコロビヤオキは竹宮恵子さんの『風と木の詩』は受け入れられず、最初でギブアップしてしまいました。だから読めてないの。

 

ベースには哲学的テーマも

そして背景にはキリストの“愛”と“赦し”という深いテーマが流れています。

キリスト教の学校で聖書の授業を受けていたので、このテーマの深さにも感じ入りました。そして聖書の授業より等身大で神の愛についてとか、人を愛することってどういうことなんだろうとか、生きることってなんだろうとか、深く考えさせられたなあ。

 

そして一番の魅力は美しい絵!

そして、そのような情緒的なテーマ、ストーリーを紡ぎだすのにピッタリな、繊細で透明感のある絵柄。もう美しいったらない!

あの美しい絵は萩尾望都しかかけないですよね、後にも先にも。

情緒的なストーリー、奥深いテーマ、繊細で美しい絵柄…3つの最高級が噛み合って、最高の美しさを醸し出しています。心に染みいる珠玉の作品です。

 

『トーマの心臓』はもはや文学作品。崇高な一冊。

思春期の心理描写が見事

キリスト教、男子校、ギムナジウム…。

繰り返しになっちゃうかもしれませんが、思春期の、子ども以上大人未満の心理状態、言動が見事に表現されています。この時期の心模様って本当に独特で、細かに書き留めておくなりしないと、大人になってから再現するって本当に難しいものだと思いますが、それらが見事に再現されています! よく覚えてる! ってビックリしてしまうほどです。

おかげで10代で読むとひどく共感。大人になってから読むと本当に驚きます。忘れていた何かを呼び覚ましてもらえるような。

だからこそ、『トーマの心臓』を大人になって初めて読む場合は、「男の子同士で好きだの、嫌いだのばっかり言ってる~?」 と入りこめないかもしれません…。

実際ナナコロビヤオキも20代の頃、『トーマの心臓』を読み返したことがありましたが、その頃は、なんだかなあ? と思った覚えがあります。ちょうどその年頃はモラトリアムを脱して現実に生きている頃、現実が楽しくてたまらない頃。そのため思春期不安定時代の自分の恥ずかしい部分を見ちゃったような気がしたからかもしれません。

『トーマの心臓』30年ぶりに再読 ナナコロビヤオキの感想

ぐるっと回って…やっぱり心のバイブル

今、ナナコロビヤオキは結婚もして子どもも生まれ、子どもたちが思春期を迎えた今、手に取ってみたら何ともいえない懐かしさと、その思いの純粋さにあらためて心惹かれるものがありました。

20代にあれ?と思ってそこからぐるっと回ってまた受け入れられる心境にもどってきたって感じかな。

当時の頃の透き通った思いが、きちんとそこに大切にしまわれてあった気がしました。

そしてこれまでよりも、登場人物のそれぞれの心の傷を深く感じて切なくなったり、人を好きになることについてあらためて考えさせられたりして…いやはや、大人になっても宝物です。

30年ぶりに読んで感銘を受けたもの

今回の『トーマの心臓』再読。初めて読んだときから30年以上経っていますが、あらためて感じたことは、これはキリスト教の教書とも言える崇高な作品なんだと言うこと。非常にレベルの高い作品なのだということです。

萩尾望都さん、20代前半くらいなのでは? 『トーマの心臓』を描いたのは。

なんでこんなに10代の気持ちが分かる!?って驚くくらい、細部に渡ってリアル。
その上、 “赦し”、“愛”という根源的で哲学的なテーマを扱い、それを情緒的に、美しく描き通しています。

大人と子どもの気持ちを持ち合わせた天才! しかも絵も唯一無二の美しさ! 天は二物を与えるんだなあ~与えられた方なんだなあと。 敬意しかありません!