【『はね駒』感想 】おりん:令和から昭和60年代ヒロインに感じるギャップ

BSの再放送の『はね駒』再放送見てます。

 

当初、おしんロスが強く、おしんと比べるとイマイチかなあ~という思いもありましたが、
じいさま、ばあさま演じる山内明さん、丹阿弥谷津子さん、おとっちゃん、おっかさん演じる樹木希林さん、小林稔侍さん…名優の皆さま方が脇をしっかり固めていて下さるので、おかげでじわじわと面白く、今期の朝ドラはこっちがメインで見ています。

 

いくらなんでも、おりんが自分勝手すぎるよぉとか、今の感覚だと違くね?と思うこともちょいちょいありますが、だからといって白目や、なちゅぞらに覚えた不快感は無く。
そしてむしろ、その「おや?」と引っかかるところが、令和2年の現在と昭和61年の放映当時の価値観との違いなのだろうなあ~と、そのギャップを楽しみながら見ています。

そして、昭和61年当時に比べると、今の方がより自由に生きられているなあとも実感。
まるで変わってないようだけど、それなりに進化してきてるのねえ~と感じています。

 

特におりんというヒロイン像に、時代の流れを感じるのですが、どのようなところにそれを感じるのか、今回は考えてみたいと思います。

 

 

少女時代のおりん:無邪気さが令和の今には恥ずかしい

 

物語のスタート時、斎藤由貴演ずる主人公おりんは14歳。
福島の二本松のちょうちん祭りを見物しているシーンから始まります。

もっとよく山車を見たい!と、じいさまの止めるのも聞かずにはしゃいで跳ね回り、
松の木の上によじ登って、木の上からお祭り見物。
まさに「はね駒」(=お転婆娘)と言われる通りの活発さ。落ち着きの無さ。

 

ヒロインの木登りといえば、活発なヒロイン表現のテッパンですね。
古くは朝ドラ「おはなはん」も初登場シーンは木に登っていたと聞きます(見たことないけど何か聞いた)。
「あさがきた」のあさちゃんもやってたし。

 

1970年代に小学生だったナナコロビヤオキとしては、“木登り”といえば「キャンディキャンディ」のキャンディや「はいからさんが通る」の紅緒を思い出します。
そこからお転婆娘=木登りとイメージが刷り込まれていますが、
この『はね駒』の放映は1986年(昭和61年)なので、それらの流れを汲んでの木登りシーンでしょう。

 

しかし、このキャッキャしたおりんを見ていると、なんだか令和の今を生きるナナコロビヤオキとしては、ちょっと恥ずかしくてゾワゾワ来てしまうのです。

 

このゾワゾワは、おりんを演ずる斎藤由貴さんに対してのものではなく(この当時まだこんなアイドル演技だったんだ!と見ていてちょっと恥ずかしくはありますが…笑、でもそれとは別で)、ましてや作品そのものにでもなく。

このゾワゾワは、紛れもなく自分に対してで。

 

見ていて、確かにあの頃、こういうヒロイン受けてたよね~と懐かしく思い出し、
昭和61年当時の雰囲気を思い出し…
懐かしいは懐かしいんだけど、
でもノスタルジーみたいにうっとりするような美しい感覚では無く、
むしろその逆で。

なんだか、今の自分が最も見たくない時期の自分、しかも当時のファッションをてんこ盛りに身にまとっている自分の写真をいきなり見せつけられたような感じで、なんだか恥ずかしくなってゾワゾワ寒気が来ちゃうのです。

なぜそうまでゾワゾワ来ちゃうのか?分析してみます。

おりんは当時の新しい女性像。しかし…

おりんは、キャンディや紅緒の流れを汲む、おてんば=活発で元気なキャラ。

それまでの日本で理想的とされてきた、おしとやかで、つつましやかで、決して自己主張をしない「やまとなでしこ」型の女性像とは対極に位置する存在です。
これまでにない新しさや、のびのびとして自由な感じ、男女平等の空気を感じます。

 

「はね駒」が放送されたのは昭和61年。
その前年の昭和60年に男女雇用均等法が成立しました。
おりんは、まさに当時の時代の空気を象徴するヒロインだったと見られます。

 

しかし、このおりんのキャラ、昭和61年当時には十分に新しく自由闊達だったのかもしれないけれど、令和の今にしたらまだまだぬるい。

 

おてんばで活発で、なよなよしてないよ~!と見せながら、まだまだ男性を意識して媚びている感が透けて見えるのです。

 

お転婆とおっちょこちょいが必ずセットという哀しさ

おりんのキャラはお転婆でのびのびとして自由な性格ですが、その代わりにおっちょこちょい。

ドラマ前半の女学校に入学する頃までのおりんは、
とても将来新聞記者になるとは想像できないような笑、
それ以前に女学校卒業できるかぁ?と、心配になるくらいにおつむが弱そうですwww

 

このお転婆とおっちょこちょいが必ずペアの抱き合わせ販売、これはキャンディ辺りからの常識となっていて、今でもいくらか引きずっていると見られます。

そして、純粋無垢で、恋愛には鈍感で奥手であることもお約束のセット。

“純粋無垢”って当時はすごーく美しく尊いこととされていたのを思い出しました。
当時10代の自分はそんな刷り込みを受けていたなあと。

…でも“純粋無垢”とはイコール無知。無能ってことだよ。
決して良いことではありません。
今なら分かる。
でもあの頃はそうとは思ってなかったなあと。

 

自由と引き換えに、自立する能力は持ち合わせないヒロイン像

そう、あの頃のお転婆ヒロインは、活動的な代わりに、無知で無欲。

底抜けに明るく行動的だけど、
自分一人で人生切り開いていく能力、自力で成功する力は持ち合せていないのです。

牙抜かれちゃってる感じだったんですね~。

あの頃の女子は、自由でのびのびは許されても、男性より賢くなってはならないと無言の圧力を掛けられていたってことなんだな。
与える側も、受ける側も無意識のうちに…。

自分の人生は飽くまでも王子様に委ねて。
「私、お転婆で、自由に生きてるけど、何も知らないし、欲が無いよ。だから男子、安心して。そして私のこと守ってね」
っと、そういうことだったんだ…。

 

これがまたキャッキャしてるのが“斎藤由貴”だから、つい「女」を感じちゃうからそう解釈しちゃうのかもしれませんがwww

でも当時は、女性にも松田聖子の崇拝者が多かったので、なんだかんだ言って守って欲しい女子が圧倒的な理想像だったのだろうと思います。
お転婆で自由なヒロインも、所詮「自立したフリ」のレベルに留まっていたということ。
これは演者が斎藤由貴だからって訳ではないでしょう。
それに斎藤由貴という当時のアイドル像自体も、事実そうだもんね。

 

昭和61年当時は、女性の中にさえ「女性は男性より一歩下がって!」という保守的な考えを持つ人がまだまだ多かったと思うので、おりんは、これでも精一杯自立した女性像だったのだろうと思いますが…。
しかし令和の今にしてみれば、まだまだ男女不平等ベースの上でのわずかな自由でしかなかったのだと分かります。

 

自由を得るために代償を払わねばならない?

そしてこの感じ、『人魚姫』を思い出します。

人魚姫は魔女に人間の体にしてもらう引き換えに、美しい声を取られてしまいますが、この当時のお転婆ヒロインは自由と引き換えに自立する力を引き渡してしまっている。

女性が自由を得るためには必ず大きな代償が必要らしい…。
そしてこのようなお転婆ヒロイン、今でも絶滅したわけではないので、未だに女性にとっては息苦しさがある社会だってことだよね…。

 

そして、当時10代だったナナコロビヤオキ、リアタイではね駒は見ていませんでしたが、あの頃少女マンガもテレビもこういったキャラが蔓延していたなあ~と、
今回おりんを見て思い出し、
同時にこういったキャラを好ましいと思っていた当時の自分を思い出し、
「あの頃の私ってば、全然分かってなかったんだ!まだまだ騙されていたんだあ~」
と、世の中のことを全然分かってなかった、
おバカで幼い自分にゾワゾワしてしまうのです。

 

その一方で
令和の今は、あの当時よりも女性が平気で物を言えるようになってきているし、
可愛くなくても大丈夫になってきているなあとも。
以前よりも、女性が何か行動をするたびに、いちいち世間の目を気にしたり、男性に気を遣わなくても済むようになってきているのだなあとも実感。

まだまだ男女の格差問題は発展途上ではありますが、当時よりは確実に前に進んでいる。
社会は少しずつ、少しずつ進んでいるらしいことにも気付くことができ、
世の中まんざらでもなさそうだなあとも、
悲観的にならずに済んでます。

いろいろと大変でも勇気を持って言い続けていくこと、少しずつでも積み上げて行くことって大事なんだなあとも、思い知っています。