『あぐり』あらすじ(ネタバレ)第109話
昭和18年(1943年)5月。
エイスケがこの世を去ってから3年が経ち、日本は第二次世界大戦の真っただ中。
淳之介は、中学校を卒業し静岡の高等学校に行っている。
和子は国民学校の2年生になった。
あぐりは美容院を続けているが、「パーマネントは敵」の貼り紙は相変わらず。
そんな中、和子に父親についての作文の宿題が出された。
エイスケが亡くなったのは4歳の時。
和子にとってエイスケの記憶はかすかなものだが、白い洋服を着て病院に現れたことは覚えている。
そしてエイスケは今も夢の中によく出てくれる。
和子はあぐりにエイスケがどんな父だったか尋ねると、あぐりはどんな時代にも収まらない人だと
エイスケの思い出を話しはじめた。
早くなくなってしまって可哀想だと和子は言う。
しかし、あぐりは短い人生ではあったけど人一倍好き勝手して、沢山の人と出会い、思う存分に生きた。
とても贅沢で幸せな人生だったと和子に語った。
そこに突然、淳之介がひょっこり現れる。
静岡にいるはずの淳之介。
学校はどうしたのかと訪ねると、学校を辞めてしまったとあっけらかんと答えた。
時は3年を経て昭和18年
週を空けたら3年ジャンプ!
戦争に突入していました~。
真珠湾攻撃のあの速報を流さずにいきなり戦時下にジャンプっていうのも
朝ドラには珍しい展開ではないでしょうかね。
ライトに、爽やかに、コメディタッチのあぐりなので、
重いパートは軽く流す方針なんでしょうかね。
戦争パートは必ず暗く重いと言うのも何個も連続で朝ドラを見ている身としては辛いので、
それはそれでいいかなあ~と思いますね。
ドキュメンタリーじゃないんだから必ずしもリアリズム追求しなくてもいいと思うし。
実際に空襲の時や終戦時は大変な経験をされたようなので、
それを描くにも今のところは明るくしておかないとと苦し過ぎちゃうだろうし…。
子供たちも成長
和子ちゃんも成長し、国民学校の2年生。
子役さんも変わりました。
また吉行和子さんが来て和子ちゃんとお話して欲しいなあ。
淳之介君も高校生に。
山田純大さんにチェンジ!
山田純大さん、今も全然変わらないままなのね…!!!
やあっと帰って来た淳之介は、これまでのジュンノーちゃんとは違ってチャラい気がww
大人になって来て、思春期抜け始めたらチャラくなってきたかww
エイスケさんの血を引いているかもしれないやっぱり。
本日はエイスケロスのためのサービス回!
エイスケさんがいなくなって寂しい~どうなるんだろ?
と思っていましたが、
そんな人々をなだめるような今日の回。
エイスケさんの回想いっぱいー!
エイスケさんダイジェスト。
次の展開に進むための、小休止って感じ?
97年の放映当初、エイスケさんを死なせないでという嘆願書まで届いたそうですが
そういう人たちへの気遣いかもしれないwww
このエイスケさんダイジェストを見ていると
あらためて、エイスケという人間像は不思議でだけと憎めない独特な未了のあるキャラクターだなあとも実感。
まあね、お金使い込みとか、そういう部分はキレイに消えてるしねwwww
恐らく90年代当時では
ここまで家に寄り着かず風来坊的なタイプの旦那が素敵な旦那様っていう描き方はそうそうなかったんじゃなかったんですかね?
そしてとことん天真爛漫で大らかなあぐりのような人間像と言うのも。
あぐり自身は美容師をして自立しているし、それによってエイスケさんに振り回されない。
それぞれ気ままにマイペースで生活しているけど、いてほしい時は必ずそばにいてくれる。
当時の主婦たちはコレを新しい夫婦関係として、斬新であり理想的だなと思っていたのかも。
まだまだ当時は、女性が仕事をしていようが家事は女性の仕事でしたから。
そんな現実に漠然と疑問を抱いている毎日があったから
エイスケさんの不思議なキャラが、とらえどころがないと思いつつも心地よいと感じたかもしれない。
そんなエイスケさん像を具現化した野村萬斎さんも、想像力が豊かで革新的ですね。
狂言師という伝統芸能に裏打ちれた演技力があるというのももちろんですが
ただシナリオ見ただけ、エイスケの言動を見ただけではただの気紛れ、自分勝手な人で
想像力が足りないとただ、ストーリー上の都合で引っ掻き回したり、いいこと言うだけの人になってしまいますよね。
そんな中で、ここまでエイスケさんの信念や優しさを実感したり、内面にある迷い苦しみも胸に迫った。
エイスケさんがきちんと血の通った、不思議でユニークな人物として存在感を示したのは
野村萬斎さんの創造力の賜物だなあと思います。